1998 フランスワールドカップを振り返って

山本和彦
2002年09月26日

フランスワールドカップにご一緒した井上さんが、写真をスキャナで取り込んで下さった。 よい機会なので、四年前の思い出をここに書き留めたいと思う。

チケット騒動でワールドカップツアーが相次いでキャンセルされるなか、我々のツアーではチケットの目処が立ち出発できることとなった。さすがに高額のツアーだけあって、JTB の中でも優先されたのであろう。このツアーでは、以下の試合を観戦した。

ここでは、一次リーグ一番の名勝負と言われ、僕にとっても最も印象深いドイツ vs ユーゴ戦について振り返ってみたい。

ランスへ

6月21日(日)、宿泊しているパリ郊外からパリ北のノード駅へと向かった。

実はこのツアーの企画には、 奥寺さんと瀬田さんが関わっており、道中を共にしている。 TGV の出発まで時間があったので、一緒に写真を撮って頂いた。

1 時間ほど TVG に揺られてランスへ到着。

ランスのビール祭り

スタジアムはランス駅から、徒歩 30 分ぐらい。 試合まで時間があるので、レストランのテラスで昼食を取っていると、フランス人のおばさんと、そのお孫さんが近づいてきて「ピクチャー、ピクチャー」と言う。どうやら日本人が物珍しく、写真をせがんでいるようだ。もちろん気軽に応じて、写真を取らせてあげた。

食事をすませ、大通りを歩いていくと、ロジェ・サラングロ広場でビール祭りが催されていた。ワールドカップに合わせたのか、日曜日はいつもこうなのか分らない。当然ビールを飲み、周りの見知らぬ人と話していると、フランス人ではなくベルギー人だと分った。どうやら試合を見に、たくさんの国から人が集まってきているようだ。

広場の外に大型バスが二台停止したので、なんだろうと思っていると、まるでおとぎの国からやってきたような民族衣装を着た人達が降りてきた。木製の靴は、尖った先が渦を巻いている。 どうもユーゴの応援団のようだ。「ピクシー、ピクシー」と叫んでみると、向うも僕達が日本人だと分ってくれた。

先ほどのフランス人のおばさんのように「ピクチャー」と言って写真をねだる。ツアーで一緒になっている人達も混ざって、大撮影大会になった。

ユーゴの応援団はいろいろな歌を歌ってくれた。最初はなんの歌だが見当もつかなかったが、ある歌の「ミヤトー、ミヤトー」という部分が聞き取れた。ミヤトビッチの応援歌だ。今までそれぞれの選手の応援歌を歌ってくれていたのだろう。

なんだかとても幸せな気分になり、 歩いてスタジアムへと向かった。

ドイツ vs ユーゴ

ランスのスタジアムは古びているものの、 トラックは当然なく、傾斜が急なので上の方でも客席がピッチに近く好感が持てる。僕の席はゴール裏だった。

前半はユーゴが試合を支配する。 13分、ミヤトビッチがゴール。 1-0 で前半を終える。

後半の頭もユーゴが優勢。54分、僕達の前のゴールでこぼれたボールをピクシーが押し込んだ。ピクシーは、こちらのスタンドに向かって、両手を大きく挙げる。僕は周りのユーゴサポータと握手。

この時点で試合は決したかと思われた。ドイツに近いこのスタジアムは、たくさんのドイツサポータが詰め掛けており、スタジアムの空気は凍り付いた。 ネオナチくずれのフーリガンのこと思うと、スタジアムから出れそうもない雰囲気だ。

しかし、ドイツも反撃を試みる。 73分、タルナトの強烈な FKが壁に当ってゴールに突き刺さった。 そして、80分。CKをビアフォフがヘッドで押し込んで同点。

ようやくスタジアムがなごみ、帰れそうな雰囲になった。 それにしても、優勢な試合を勝ちきれないところが気まぐれなユーゴらしい。逆に劣性な試合でも敗けないのは、さすがドイツ。

素晴らしい試合の後、公園で井上さんとボールを蹴っていると、ドイツ人やフランス人の子供がやってきて一緒にリフティングをして遊ぶことになった。どこへ行ってもボールが 1 つあれば、仲よくなれるなぁと実感した。

ピクシー

ピクシーが引退してから HNK が彼の半生を描いたドキュメンタリを放映した。「サッカー人生で何が一番印象に残っているか」という質問に対し、ピクシーが答えはだいたい以下のような内容であった。「1998年のワールドカップ、ドイツ戦でゴールを決めたときのことです。まず、妻のいるユーゴのサポータの方を見ました。驚くことに、そこには日本人のサポータがいたのです。日本人が私を応援するために、わざわざ駆け付けてくれたのでした。そのときがサッカー人生で最も幸せな瞬間でした。」

僕はこのスタジアムに居合わせた幸運に、ただただ感謝するばかりである。

おまけ

以下は日本 vs クロアチア戦当日の写真。