正確な文章の書き方

IIJ 技術研究所、山本和彦
作成 1995年11月23日
更新 2009年7月2日

このページでは、正確な文章を書くための秘訣をまとめてみようと思います。それほど文章がうまいとはいえない私が、文章の書き方について述べるのですから、むこうみずな行為であることは百も承知です。しかし、数年に渡って探求した正確な文章の書き方が、少しでもみなさんの役に立てばという思いを自分への励ましに代えて筆をとります。

ここでお話するのは、「文章をいかに正確に書くか」や「自分の考えをどうやったら適切に表現できるか」であって、決して「どうやったら人を感動させる名文句が書けるのか」ではありません。

このページを読んだら「科学技術文献」を書くための技術が少しは身に付くのではないかと期待しています。しかし、

人はいさ
心も知らず
ふるさとは
花ぞ昔の
香ににほひける
(紀貫之)

などのような心に残る文章が頭に浮かぶようになるわけではありません。

絵の書き方に例えて言うなら、ここで述べる内容は、色彩や調和、あるいは、絵の具の溶き方などのような基礎技術です。決して名画の書き方ではありません。名画はその画家だけが描けるから名画たるのです。

内容はまだ不完全です。適切な例題、よりよい説明が見付かったときに更新します。

はじめに

文章を書くために大切なことはたくさんありますが、一番大切なことは「正確さ」です。特に科学技術論文では、自分の伝えたいことを間違いなく簡潔に表現しなければなりません。「てにをは」の誤りは言うまでもなく、誤植、文法間違い、内容や数字の誤りなどは、大変ですができるだけ排除すべきです。

一番大切なことは「正確さ」ですが、文章を書くための最低条件は何かと聞かれれば、私は自信をもって「伝えたいことだ」と答えます。伝えたいことがなければ、正確な文章はおろか、文章さえ書けないからです。

このようなことを長年あれこれ考えているうちに、文章を探求することは階段を一歩一歩上がって行くことに似ていると思うようになりました。この階段は天国への階段のように、とほうにくれるほど長く感じます。終着駅が本当にあるのかときどき疑ってしまいます。

今私に見えている階段を下から書くと次のようになります。

先程述べたように、「伝えたいこと」の上には「正確さ」という階段があります。その上には、「豊かさ」、「バランス感覚」、「内容の構成」、「思いきり」などの階段が控えています。

実はもっと上にも階段がありますが、ここまででも十分恥ずかしいので、これ以上恥ずかしいことをしらふのときに言いたくありません。酔っているときにでも聞いて下さい。

伝えたいこと/あふれる思い

文章を書く動機は人さまざまです。文章を生活の糧としている人や研究内容を論文で発表する人は、〆切までに原稿を仕上げる必要があります。課題のレポートを明日までに提出しなければならない学生もいるでしょう。

しかし、そんなふうに急き立てられないときでも人は筆を手にとります。なぜ人は文章を書くのでしょうか?もちろん、誰かに伝えたいことがあるからです。日記だって将来の自分へのメッセージに他なりません。

文章を書くための最低限の条件は、伝えたいことがあることです。伝えたいことが何もない人がよい文章を書けるはずがありません。

伝えたいという気持は、別の言葉で表現すると「あふれる思い」です。自分の心のコップに次第に溜っていった思いという名の水が、いつかいっぱいになって溢れ出します。そういうときに書いた文章は、後から読み返しても生き生きとしています。

たとえば、何かプログラムの解説を書くことになったとしましょう。ある人はレポート提出の義務から〆切の前日に今はやりのプログラムを少し使って、表面的にはよくまとめました。またある人は、昔から使い続けてきたプログラムについて、修得に苦労した点やなぜ飽きないのかといった素朴な疑問について、たどたどしい文章で書き綴りました。べつに書きたくて書いたわけではない文章と、書きたくて書いたレポート、どちらの内容が優れているかは明らかです。

文章がうまくなりたいと思うのだったら、書きたいことを見付けるのが一番です。好きこそものの上手なれ。書きたくて書きたくてしょうがない状態を作りましょう。研究者なら素晴らしい研究をしましょう。そうすれば、自然と研究内容を人に伝えたくなるはずです。

長いときを経て溢れ出た思いを時間をかけて丁寧に書く。時間に追われがちな私がいつも心に刻んでいることです。

正確さ/曖昧さの排除

文章を書く上で「正確さ」が一番大切です。文章を書く理由は、だれかに何かを伝えたいからです。正しく伝えられないのなら、誤ったことを伝えるぐらいなら、書かない方がよいのかもしれません。

科学技術論文に限っていえば、適切に表現された文章、つまり、曖昧でない文章を書く必要があります。文学小説や詩にみられる余韻は、科学技術論文には必要ありません。

正確な文章を書くための技術は、主に文法と表現方法に基づきます。以下少し長くなりますが、憶えておきたい文法と表現方法について述べます。

文法

文法というと何だか難しく響きますね。しかし、ここで説明するのは、国語の試験で憶えたような難解で役に立たない内容ではなく、単純でかつ役立つ項目ばかりです。

文の論理構造

日本人は日本語を知りすぎているので、文章を書く際に文法を考えることは少ないでしょう。書いた文が日本語として響くかは、日頃の経験から読んだだけで分かってしまいます。しかし、文章をこれから学ぼうという人は、できる限り文法に気を配って下さい。別の言葉で言えば、文の論理構造を見通す訓練を心がけましょう。

初めから流暢な文章を追求するのは、賢いやり方ではありません。遠回りに思えても、基礎から学んでいくとよいと思います。文の基本は、小学校のときに習った

いつ、どこで、だれが、なにをしたか

です。言い替えれば、

主語、目的語、述語

を明確に書き下すことです。いつも、「この文の主語は何か」、「目的語はどれか」、「述語は?」といった自問自答を繰り返して下さい。

主語、目的語、述語が明瞭な文は、芯の通った落ち着いた感じを与えます。文の論理構造がはっきりと目に見えるようになれば、あとは論理構造を気にしなくても的確な文が書けるようになるなずです。

文の論理構造を見通せる人が論理構造を気にせず書くのと、そうでない人が何も気にせず書くのは違うということを心に留めて下さい。

余談になりますが、学校で教わる「主語、目的語、述語」という文法は、英語の文法を単純に日本語に適応したものであり、実はうまく日本語の特性を説明できていません。私が支持している文法は、以下のように説明されています。

[主語] [目的語] [...] [...] 動詞

"[]" は省略可能という意味です。この文法は、日本語では動詞が柱であり、その他の修飾語は必要であれば助詞と連結して補われるということを意味しています。

これが、日本語で省略を多用して文章を曖昧にしてしまう原因でもあり、後で述べるように、動詞を適切に使うことで文章を豊かにできる理由でもあります。

「が」と「も」の誘惑

ジョナサン・スウィフトは次のような言葉を残しました。

近年のよく知られている印刷された駄作は、
驚くほど多くのブレークやダッシュで区切られている

この言葉はダッシュなどを多用して文章を区切ってしまうと、読みにくくなることを皮肉っています。私は読みにくい日本語に対して、よく次のような皮肉を言います。

近年の駄作の多くは、順接の「が」と
曖昧な「も」で接続されている
「が」の誘惑

接続詞「が」の役割には、「内容が逆である文を接続する役割」と「似ている内容の文をつなぐ役割」の2つがあります。それぞれ逆接、順接といいます。お分かりのように、「が」は逆接で使った方がしっくりきます。しかし、順接の「が」も使いやすいために乱用しがちです。

逆接の「が」の例を見てみましょう。

今日は晴れでしたが、明日は雨でしょう

「が」の前と後で、逆のことを言っているので素直に頭に入って来ます。 しかし、「が」が

今日は晴れでしたが、明日も晴れでしょう

のように順接で使われると、期待が外れてハッとします。このように、順接の「が」は文章の流れを阻害してしまいますから、できるだけ使わないように心がけましょう。

文章中に順接の「が」がたくさん出てくると、 論旨が追えなくなり、何をいいたいのか分からなくなります。 また、おなじ文献のなかで「が」を順接にも逆接にも使うと、 1つの単語を複数の意味で用いていることになり曖昧です。

順接の「が」を使った文章のほとんどは、 そこで切ってしまっても構わないはずです。 上記の例は以下のようになります。

今日は晴れでした。明日も晴れでしょう

順接の「が」は、結論を先送りする効果があると説明する人もいます。 「結論はなるべく早く述べる」という法則からいっても、 順接の「が」の利用は避けた方がよいでしょう。

「も」の誘惑

「が」と同様「も」も乱用しがちな言葉です。次のような文が典型例です。

大阪から東京へは新幹線で行く方法もある

「も」は、

AもBも

と使うのが基本です。しかし、しばしば「Aも」の部分を省略してしまいます。書き手には「A」は自明なのかもしれませんが、読み手にしてみれば推測するしかありません。つまり、「A」は書き手の頭の中にしかなく、曖昧なのです。

上の例では、新幹線以外の方法があることを示唆していますが、それが何か分からないのでイライラします。基本に忠実に以下のようにしてみたらどうでしょう。

大阪から東京へは飛行機で行く方法も新幹線で行く方法もある

すぐ上の文章から「A」が読み取れる場合は、もちろん省略しても構いません。

大阪から東京へは飛行機で行く方法がある。
新幹線で行く方法もある

「Bも」と書いた場合でも、実際は「A」がぼんやりとしていて書き手にも分かっていないことがあります。そういう場合には、「が」を使えば十分です。

大阪から東京へは新幹線で行く方法がある

いつも「も」を「が」に置き換える習慣をつけましょう。そして、どうしても「も」でなければしっくりこない場合にだけ、「も」を使うようにすればよいでしょう。

「の」の誘惑

英語の文章を書いているときに of を2回続けることに抵抗を感じる人が多いのではないでしょうか。しかし、そんな人もいざ日本語になると「の」を乱用してしまいます。「の」は曖昧な単語ですから、なるべく他の適切な言葉で置き換えるべきです。いくつか曖昧な例を見てみましょう。

父の写真

さぁ、困りました。書き手は次のどれを表現したかったのでしょう?

もう1つ例を挙げてみます。

東京の兄の家

この例でも3つの可能性があって曖昧です。

曖昧な文章にはそれに代わりうる適切な表現が必ずありますから、意味が1つに定まる文章を書くよう心がけましょう。

表現方法

我々は知らず知らずのうちに、くどい言い回しや曖昧な表現を使ってしまいます。ここでは、どんな言葉が不適切でどう言い替えればよいか、いくつか説明します。

意味の広い単語:「こと」、「もの」

「こと」や「もの」という単語は、さまざなま名称、感情、概念などを包括できる意味の広い単語です。何にでも適応できるために多用してしまいます。しかし、意味が広いということは、それだけピントがぼやけていることに他なりません。これらの単語を使うよりも、適切な単語を選択する習慣を付けましょう。

たとえば、

行き方には以下のものがあります

という文章を書くときは、自分はどういう意味で「もの」と書いたのかを考えて下さい。そして、できるだけ自分の頭のなかにあるぼんやりした考えを、くっきりと形作る訓練をしましょう。この例は、以下のように書き換えられると思います。

行き方には以下の選択肢があります

あるいは、文の構造変えれば「もの」という言葉は不要になる場合があります。上記の例は以下のようにも置き換えられます。

以下に示す行き方があります

私自身は、あるものを完全に表現する文章は 1 つしかないと信じています。文章を書くことは、言い得て妙な表現を探す作業です。これは困難な作業であり、時間には限りがありますから、どこかで折り合いを付ける必要があります。

言い得て妙な表現からの距離が正確さになります。近ければ近い程よい表現だといえます。残念ながら、距離がゼロになることはほとんどないでしょう。どの方向にずれているかが、文章の個性だと思っています。

表記の揺れ

ささいなことですが、表記は統一するように心がけましょう。

現在では、「とき」や「たとえば」のように「ひらがな指向」にする方がしっくりくるのかもしれません。もちろんあくまで趣味の問題です。文章中で統一されていれば問題ありません。

また、カタカナは語尾を伸ばさない表記を用いることがあります。 話し言葉ではもちろん伸ばすのですが、 書き言葉では尻尾を切った方が座りがよいからです。 たとえば、以下のどちらが記号の羅列として 読みやすいでしょうか?

むろん、これも趣味の問題です。統一されていることが重要です。

ちなみに、校正の専門家の間では、 3文字以上の場合に最後の「ー」をとるそうです。 ただし、途中の「ー」は1文字として数え、 小さなカタカナは文字数に含みません。

表記が統一されるように普段から心がけている人も、 昔書いた文章を加筆訂正する際には、結構表記が揺れてしまいがちです。 加筆訂正したときは、必ず後から読み返しましょう。

漢字

多くの漢字は、1 つの音と 1 つの訓を持っています。しかし、たくさんの例外があります。たとえば、「上」という漢字には「うえ」、「かみ」、「あがる」などの複数の読みがあります。一方「はかる」という音(おと)には、「計る」、「測る」、「量る」といった、複数の漢字があります。

なぜこのような例外が存在するか、考えたことがありますか?答えは、漢字がもともと外国語だからです。日本は漢字を輸入してから、消化するまでに 1000 年の歳月を必要としました。しかしならが、まだ完全には消化し切れていないのです。

そこで、口語と文語には若干の食い違いが生じます。 たとえば、上記の例の「はかる」を考えてみて下さい。 しゃべっているときに、どの漢字なのか考えながら話す人はまれでしょう。 しかし、文語では正しい漢字を選択する必要があります。

とくに、同じ音(おと)を持つ漢字はたくさんありますから注意が必要です。 以下にいくつか例を示しておきます。

どの漢字を用いたらよいか一定の基準を得るためには、「用字用語辞典」を活用するのがよいでしょう。参考までに、私が利用している辞典を示しておきます。

漢字、ひらがな、カタカナ

西洋のことばが洪水のように押し寄せて来ているため、的確な日本語が使われるようになる前に、カタカナが広まってしまいます。最近の文章には、いたるところにカタカナを見付けられます。

しかし、カタカナは記号として目立つので、多用するのはよした方がよいのです。記号としての日本語は、世界の他の言語にない柔軟性もっています。そうです、漢字、ひらがな、カタカナ、そして、アルファベットのようにたくさんの記号を自然に表記できるのは日本語だけです。

もし、漢字、ひらがな、そして、カタカナをバランスよく書ければ、斜め読みが可能になります。逆に、カタカタばかりの日本語は、カタカナが目立ってどこが重要なのか直感的に理解できません。

日本は漢字を消化するのに 1000 年もかかりました。まったく消化できてない浮き草のようなカタカナは、できるだけ利用しない方がよいでしょう。

ですから、カタカナの乱用は避け、なるべく適切な日本語で置き換えましょう。以下のような対応関係を日頃から見付けるように心がけたいと思います。

文と段落の長さ

文章の論理構造を見えにくくし内容を曖昧にしてしまう最大の根源の1つは、文章を適切な長さで区切らずだらだらと長く書いてしまうことです。文章の初心者は、まず論理構造がはっきりとした短い文章を書く訓練をして下さい。

短く明瞭な文章が書けるようになったら、徐々に長い文を書く練習をしましょう。長いけれど曖昧でなく、読み返さずとも素直に頭に入ってくる文章が書けるようになったら、 最後に長い文と短い文をうまく織り混ぜることを憶えて下さい。

長短を使い分けることによって文は生き生きとしてきます。しかし、逆に段落はすべて適切な一定の長さに納めるようにした方がよいでしょう。文章がうまい人が書くと、不思議と同じぐらいの長さの段落に落ち着きます。

能動態と受動態

せっかくの自分の仕事をわざわざ受身で書いて、誰の成果か分からなくしてしまう人がいます。たとえば、次の文です。

フェルマーの最終定理を解く方法が提案された。

もし、自分の業績であるなら能動態を用いて主語を示すべきです。

私はフェルマーの最終定理を解く方法を提案した。

受動態は、他人の業績や一般的な知識を記述する場合に用いるとよいでしょう。ただしだれの業績か知っているなら、その人を主語にして能動態で書く方がよいでしょう。

脚注と括弧

LaTeX や Word では脚注が簡単に付けられるためか、脚注を乱用する人がいます。しかし、脚注の使用は極力避けるべきです。理由は2つあります。

  1. 脚注を付ける必要のある例外の多い説明は、本質的に優れていない。脚注を付けなくても済むような一般的な表現を考えるべき。
  2. 脚注を読むためには、視点を動かさなければならず読みにくい。

脚注を付けるぐらいなら、できるだけ本文の中に押し込んでしまう方がよいでしょう。脚注を利用するには、納得できる明確な理由が必要です。

また、例外を記述するために括弧を利用することは極力避け、できるかぎり汎用的な説明を探し出して下さい。

豊かさ/軽やかさ

個々の文が正確に書けるようになったら、次は文と文の関係に注意を払う習慣を付けましょう。何度も同じ動詞が出てきたり、決まりきった表現ばかりだと、文章全体として貧困な印象を与えます。

曖昧でない文が書けるようになった人が次に追求すべきことは、文章の豊かさや軽やかさです。日頃からたくさんの語彙を収集し、使いこなせるようになっておきましょう。

動詞を豊かに使う

「〜を行う」、「〜することが可能である」という言葉をよく論文で見かけます。たぶん、こう書いた方が論文らしく見えると勘違いしているからでしょう。たとえば、次のような文章です。

この新しい方式では両者の計算を同時に行うため、
高速に処理することが可能である

「計算する」、「処理する」などのように、名詞に「する」をつけて動詞となる単語があります。これは、「サ変動詞」と呼ばれています。サ変動詞には、「行う」や「することが可能である」と言葉を補いたい誘惑に駆られます。しかし、そんな決まりきった表現に押し込んでしまうよりも、動詞として素直に使った方が表現として豊かになります。たとえば、上の例は

この新しい方式では両者を同時に計算するため、
高速に処理できる

で十分でしょう。

文章の柱は、「動詞」です。できるだけ動詞を豊かに使うことを心がけて下さい。

名詞と動詞を修飾する言葉を、それぞれ「形容詞」と「副詞」と呼びます。動詞が文章の柱ですから、形容詞よりも副詞を使う練習をした方が実りが多いでしょう。

「形容詞」+「名詞」+「行う」

ではなく、

「副詞」+「動詞」

という表現を身に付ける練習をして下さい。

1つの文だけ見ているとそれほど違いはありませんが全体を通して見るとかなり印象が異なってくるはずです。画一的な表現の「ちり」をつもらせて、「山」にしてしまわないようにしましょう。

名詞を豊かに使う

動詞に「こと」をつけた名詞句を多用する人がいます。例えば、こんな感じです。

経験を蓄えることができた

この例では「蓄える」という動詞を「こと」を付けて名詞に変換しています。わざわざ名詞に変換するぐらいなら、はじめから適切な名詞を選択すべきでしょう。たとえば、以下のように変換できます。

経験を蓄積できた

こちらの方が短くて、しかも表現が豊かです。大和言葉に加えて、漢語もたくさん使いこなせるようになりましょう。

個性のある文章

個性のない文章は不正確で、しかも、豊かではありません。たとえば以下のように、「非常に」という言葉を乱用する人がいます。

コーヒーを飲む人が非常に多い

「非常に」と書くぐらいなら、「どう非常なのか」ということを、「非常に」という言葉を使わずに表現すべきだと思います。前述の例を次のように変えてみましょう。

コーヒーは、イギリス人やアメリカ人のみならず、
スウェーデン、アルジェリア、インド、そして、日本など
さまざまな国の人々に愛されている

このように書けば多くの人にコーヒーが飲まれていることが的確に伝わってきます。 もう1つ例を挙げてみましょう。

夕日がきれいだった

「きれい」というような、主観的な言葉は避けた方がよいでしょう。やはり、「きれい」と書くぐらいなら、「どうきれい」なのか描写することに挑戦してみて下さい。

目に痛いぐらい赤くにじんだ夕日が、
西の空を赤、朱、橙色に焦がし、
山の端に次第に溶けていった

「きれい」という言葉を一切使っていませんが、「きれい」と表現する以上に「きれい」であると感じませんか?

バランス感覚/素直さ

個々の文を巧みに書けるようになり、そして、全体としても豊かな表現を用いられるようになったら、次は内容のバランスに気を使いましょう。偏った内容の文章は、読む人をいやな気持にさせます。文章にはバランスが重要です。

内容としてバランスのよい文章は、素直な文章だと言い替えられるかもしれません。書きたいことを、偏見や虚栄心をできるだけ排除して素直に書く。そうすれば、自然に相手にとって分かりやすい文章になるはずです。

文章を鏡に写す

バランスをよくする一番の方法は、他人になったつもりで自分の書いた文章を読み返してみることです。しかし、口で言う程簡単ではありません。ある人が、自分の書いた文書を客観的に読み返すとても簡単な方法を教えてくれました。

時間をおいてから読み返す

これが一番他人に近付き易い方法だと思います。文章を書いた直後に読み返しても、自分の思い込みやそのときの感情に支配されているので、誤植ぐらいなら見付けられるでしょうが、文章を鏡に写す余裕はありません。どんな内容だったか忘れたころに読み返してみるとよいでしょう。

誰しも怒っているときに書いた文章は批判的です。しかし、それはそのとき限りの感情である場合がほとんどです。そんな文章を誰かに送り付ければ、後悔するはめになるかもしれません。怒りや抗議の文章を「今」書くのは止めにして、お風呂に入って寝てみませんか?明日抗議文を書いてもよいじゃないですか。冷静なときに書いた抗議文の方が、相手をよりよく正せるはずです。

断定的な文章にも気を付けたいと思います。断定的な文章は、一見かっこよくまとまっている印象を与えます。しかし、大抵の場合は、偏見に支配された不正確な文章である場合が多いのではないでしょうか。こんな文章はどうでしょう。

最近の若者は文章の書き方を知らない

確かに、文章の書き方を知らない若者が多いかもしれません。しかし、きっと若者の一部には、すばらしい文章家がいることでしょう。また、「書き方を知らない」という、いちかゼロかの説明にも納得いきません。次のように一歩も二歩も譲って書いた方が、読み手に好感を与えると思います。

青年の中には
軽やかで正確な書法を身に付けている人もいるだろう。
しかし、
私の周りにいる義務教育を終えたはずの青年には、
丁寧な文体や正しい文法を修得しているとは思えない人が多い

いつも自分の文章を鏡に写し、襟の乱れを正したいと思います。

肯定的な説明と否定的な説明

えてして「〜ではない」と否定的に説明しがちです。たとえば、遅かった自動車に改良を加えて速い車を作ったとしましょう。今までは遅かったという不満に因われた状態で書いた文章は、きっと、

この自動車は前の車のように遅くはない

となるでしょう。でも、少し立ち止まって深呼吸し、もう一度適切な表現がないか考えてみて下さい。そうです、

この自動車は画期的に速くなった

と肯定的な文章が見付かるはずです。もう1つ例を挙げてみましょう。

秋に桜が咲くのは不自然です

これも否定的ですね。しかも、いつ桜が咲くのが自然なのか読み取れません。次のように直してみましょう。

桜は春に咲く花です。秋に咲いては不自然です

肯定的な文章で桜の特徴を説明し、否定的な文章で内容を補っています。もし、どちらか一方の文章だけにしなさいと言われたら、もちろん内容にもよるのですが、肯定的な文章を選ぶとよいと思います。

繰り返しになりますが、何かを否定することは簡単です。たとえば、鉛筆を指して「ボールペンではない」と言うのは容易です。「万年筆ではない」、「シャーペンではない」といくらでも例を挙げられます。しかし、鉛筆を「鉛筆だ」と表現するのは難しい。肯定文は難しいからこそ、安易な否定文を使ってしまいがちです。肯定的な表現を探すのは辛い作業ですが、いつも心掛けて下さい。

内容の構成

おもしろい笑い話や見入ってしまう映画などは、内容の構成に注意してみると、驚く程に計算されています。同じ内容を伝えるときは、構成を熟考すればするほど、 読み手を引き付けられます。

話を進行するときの基礎技術は、その局面その局面で適切な情報を与え、相手をイライラさせないことです。細かいことは後まわしにして、伝えるべきことを初めに言うのが大切です。

もちろん、わざとタネを最後まで相手に教えずに、注意を引く技法があります。しかし、基礎ができていない人が使うと失敗することが多いでしょう。

発表などでは特にそうなのですが、文章でも内容の構造をトップダウンにすべきです。ボトムアップ的に、細かいことをあれこれ先に言うと、読み手はついていけなくなるか、あるいは、飽きてしまいます。

たとえば、

AはBである

ということが一番伝えたいとしましょう。そして、具体的には

AはCとDである
BはEとFである

だったとします。

文章が下手な人は、CとDを説明しないとAは説明できないと考えて、次のような構造を作ってしまいます。

CとDからなるのがAである
EとFからなるのがBである
そして一番肝心なのはAはBであるということだ

C、D、E、Fそれぞれはある程度の内容を持っていますから、結論の「AはBである」 になかなか行きつかず欲求不満に陥ってしまいます。

このようにボトムアップではなく、トップダウン的に結論から述べるべきです。まず、

AはBである

と言ってしまいます。この時点で自分の言いたいことのほとんどは不完全ながらも伝わったはずです。読み手にとって興味ある結論であれば、

それはすごい。もっと詳しく知りたい

と思うことでしょう。これだけで目的の80%は達成しているのです。注意を引き付けたなら、次に細かい話に移行します。

先程Aと言ったが、それは実はCとDである
また、BとはEとFである

もうお分かりのように、紙面が許せばさらに細かい説明ができます。

Cとは、実はGとHのことである

このように、

自分の述べたい結論をまず最初に述べ、しかも、そこに時間をかける

訓練をして下さい。

さて、別の面から、内容の構成を考えてみましょう。論文やスピーチなどは、典型的に以下の3つの部分に分かれます。

Introduction
木構造の頂点です。関西弁でいう「つかみ」が最大の目的です。どうやったら読者の心を掴めるか、どんな例えを使えば読者を引き込めるかをよく考えて下さい。また、言いたいことを分かり易い言葉で簡素に言い表す必要があります。目的や背景、意義などについても触れる必要があります。
Discussion
具体的な内容です。読み手がついてこれるように、その場その場で的確な情報を与える必要があります。議論のために必要な言葉の定義などは、本来自分の言いたい結論ではありませんから、なるべく目立たないように工夫しましょう。
Conclusion
文字通り結論です。結論は最初に簡単に述べられているため、繰り返しになります。木構造の底辺すべてにバランスよく触れて、最初よりも詳しく的確な結論を(通常過去形で)示します。

文の論理的構造が読み取れるようになったら、次は、文章全体の構成を頭に思い浮かべられるようになって下さい。

思いきり/吟味する

文章とは削ることと見付けたり 

島尾敏雄の言葉です。伝えたいことを何でも文章にしてしまうと、えてして一人よがりになってしまいます。それでは、思いがなかなか伝わりません。伝えたいことの中から、本当に伝えたいことを選び残りを捨ててしまう「思いきり」が必要です。別の言い方をすれば、余分なぜい肉を削らなければなりません。

伝えたいことの章で、心のコップの話をしました。心のコップが大きければ大きい程、よい文章が生まれると思います。コップが大きいとなかなか水は溢れ出しません。溜りに溜った思いの、ほんのうわずみだけを書けば、研ぎ澄まされた表現になるはずです。決して小さなコップを用意してはいけません。そんなコップはすぐにいっぱいになりますが、溢れでる水はまだ濁っています。

書きたいことを押えて、押えて、
それでもまだ溢れてくる思いがあれば、
それを書きなさい

こんな説明をしてくれた人がいます。氷山が圧倒的な存在感を持って海に浮かんでいるのは、目に見える部分よりもはるかに大きな氷が海面下にあるからです。言いたいことを全部書くのではなく、溢れた部分だけを書く。それだけでもその文章には存在感があり、しかも明瞭な印象を与えます。

もし、どこが溢れ出した部分なのか分からないのなら、次のような方法はどうでしょう。つまり、書きたいことを全て箇条書にします。そして、絶対に言いたいなら高い点数を、書かなくても済ませる項目には低い点数を付けます。最後に、ある点数で線を引き、線より高い優先順位の項目だけ文章にします。

文才に溢れた人は別かもしれませんが、ほとんどの人は、書き直しや推敲無しではよい文章を書けません。書いては削り、書いては削る。文章を書くためにたくさん時間をかけて下さい。

おわりに

「まだまだ大切なことがあったはずだ」という思いが頭をよぎります。文章を書くためのセンスを整理して書き下すのはなかなか難しい仕事ですね。文章の書き方を題材としているのに、自分の貧困な文章力を思い知らされただけかもしれません。

読み返してみればみるほど、冷汗のでる思いです。偉そうなことをたくさん書いてしまいました。少しはみなさんのお役に立てたでしょうか。ご意見やご感想をお待ちしています。

参考資料